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一人称を「あたし」にしてみるとなんだか楽になりました



心と性の話】│コメント:1


最近はちょっと自分の心と性について色々考えていたのです。
というわけで、「心と性の話」というカテゴリを作ってみて、色々書いてみることにしますー

色々と考えてると、前々から強い願望としてあったのが、一人称を「あたし」にしたいということでした。
特に女性的な気持ちが強い時期に、より願望が強くなるんです。
なんとなく頭では「わたし」の方が上品そうで丁寧な印象あるんですよね。
それなのに「あたし」を使いたいという願望がありまして…

で、一度ためしに使ってみたんですけど、これがもうめちゃくちゃしっくり来ちゃいまして。
それこそ、一人称を「あたし」にすると、幸福感や解放感を感じ、「自分はやっぱり女なんだ」という気持ちになれて、とても元気になるのです。
いやもう、ほんとめちゃくちゃ楽でして、心地よさや安心感がすごいのです。
というわけで、ちょっと気の済むまで「あたし」でいってみますー


この気持ちってなんなのかなーと考えてると、どうやら子供の時の願望で抑えつけられていた感情の塊みたいです。
いわゆるインナーチャイルドというやつですね。

心のなかを探ってみると、小さい頃から無理矢理におさえつけていた本心がありまして。
結局、あたしの小さい頃からの夢は「女性になりたい」なんですよね。
体とか外見だけじゃなくて、内面から女性らしくありたいという強い気持ちがありまして。
この気持ちを認識して、それを認めると、幸せな気持ちになれるのです。

で、たぶん小さい頃の夢のひとつに「女の子の気持ちで、女の子の言葉で話したい」というのがあったんだろうなーと。
その中で最も象徴的なのが一人称だったのかもしれません。
なにしろ、自分のことを指す言葉ですから、自己イメージに大きく関わってきますからね。

この一人称はもう小さい頃から苦戦してまして、子供の頃は「ぼく」だけど、小学生男子はまわりは「おれ」なので、弱々しそうな「ぼく」をやめて周りにあわせて「おれ」にしまして。
この「おれ」が実はすごいイヤで、かといって「ぼく」にするのも嫌で、小学3年くらいのときに一時的に「わし」にしてたくらいです(笑
さすがに変に思われたので「おれ」に戻したもののしっくり来ず、いっそ「うち」にしたり。
で、このところはずっと「わたし」を使ってたんですけど、やっぱ「あたし」を使いたい、と。

自分でも「わたし」のほうが丁寧で上品だし、「あたし」だとギャルっぽかったり、お姉系だったりすると思うんですけどね-><
なぜか「あたし」じゃないとダメだという。
「わたし」は男性でも割と普通に使うからかもしれません。
「女の子の言葉で話したい」という叶えられてない欲求を解消しなきゃ、気がすまないのかもしれませんね。

現状でも、客観的に考えると「わたし」を使いたいところなんですけど、感情部分が「あたし」を使うのを強く要求してまして。
理屈と感情は一致しないようで。
感情を理屈で制御しようとすると、ろくなことにならないんで><

感情優先で「あたし」にすると、なんだか自然と感情を出せて、変な抑圧がなくなるんですよね。
それがすごく解放感があって安心するのです。
「心が女」というのは「感情部分が女」と考えるとしっくりくるのかなーと。
子供の頃から無意識的に女性的な感情部分を抑圧し続けてきたのですが、一人称を子供の頃から使いたかったものにすることで、その部分を解放して楽になれるみたい。
たまたま感情の解放スイッチが一人称だったのかな…

こう考えると、どうやら子供の時に置いてきちゃった夢のひとつのようなのです。
というわけで、満足するまで「あたし」を使うことにしますー

とはいえ、きっちりした記事を書きたいときは「わたし」のほうが綺麗な文章になると思うし、「あたし」は今回のような自分語りとかツイッターのつぶやきみたいなので使う感じですかね-

テーマとしては、できるだけ人目を気にせずに、自分のやりたい方向性を模索しようという感じで、なんだか色々模索中なのですー

まぁ、日本語はいろいろな一人称があるし、使いたければ「あたし」でも「あちき」でも「それがし」でも「我」でも「余」でも、なんでも使えばいいはずなんですよね。
人生のうち一年くらい、本気で「わらわ」とか「拙者」を使ってみる時期があっても面白いかもしれないです。
何も同じのを続ける必要もないような、と思わなくもない。
でも、なぜか変なのは使おうとしないという同調圧力的なものがあるんかもしれません。
一人称「余」はちょっと憧れる…けど、高貴なかんじじゃないと使いこなせなさそう(笑


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